妊娠は心拍停止で流産しました

このテーマをブログに書くのをどうしようか迷いましたが、妊娠したと書いた記事を消すのは嫌だし、じっさいに書いてみたら自分のなかでけじめがついたので、わたしの家族の大事な節目として、経過などを残しておきます。

流産の診断を受けるまでの経過

先日、産婦人科に行って妊娠を告げられた日(3月24日)から約10日後に、少量の出血がありました。腹痛はその時はなかったけれど、思えば出血の4日前にありました。その産婦人科医は3週間のバカンスで不在なので(ザ・フランス)、近所のエコーがありそうな産婦人科に電話をしてみました。

※フランスの産婦人科はエコー完備でないところも多い。個人経営の産婦人科ではなく、クリニックとかメディカルセンター的な場所だとエコーがある可能性が高いです。

エコーがあるメディカルセンターに事情を説明して、恐らく緊急枠で見てもらえました。そこで、心拍が聞こえないこと、最後の生理から数えても胎児が非常に小さいことから、妊娠が停止している(稽留流産と言うらしい)可能性が高いと言われました。

とはいえ、エコーの先生は経過をみていないから、断定はしませんでした。今後の流れとして、もしかしたら自然流産するかもしれませんね、という程度で、今後の指示もなし。日本だと心拍停止の時点で即、流産判定で手術の手続きをするのが王道のようです(ネット調べ)。

初診から心拍が聞こえていなかったので、初診の時点で赤ちゃんがすでに死亡していた可能性があります。胎芽がずいぶん小さいから排卵周期がずれたのかもね、と産婦人科医も言っていました。そんなことあるんかいなと私も半信半疑だったものの、やっと妊娠できたことがうれしかったので、まあ大丈夫、11月には産んで家族が増えているから、家の準備を始めたり、名前は何がいいかとか考えたりしていました。

でもつわりがまったくないことから、次第におかしいと疑うようになってきました。基礎体温もつけていたけれど、37度を超えたのは稀で、36度8分程度と、そんなに高いわけではなく。流産していても体温はすぐ下がらず一定期間は高いままという情報をネットで見つけて不安になったりしていました。

3歳の娘には、私のお腹のなかに赤ちゃんがいるよと以前話したにも拘わらず、「赤ちゃんいないよ」とか「どこにいるの?」と言うので、まあ3歳児の言うことだから鵜呑みにはしませんが、なんか変だなという気がし始めていました。

しかしまあ、こうして思い出して書いている今日はもう冷静に振り返ることができますが、エコーを終えたあとの悲しみは言い尽くせないものがありました。旦那にはメール(SMS)で出血があったことやエコーに行くことも逐一報告していたので、エコーの結果も報告しました。

エコー受診後には娘の保育園のお迎えがあったので、とりあえず運転して保育園へ。娘を引き取って帰ろうとすると、隣の会社にいた旦那さんも駆け付けてきました。旦那さんの顔を見ると気がゆるんでダメでして、この日は旦那も仕事を早上がりしてそのまま一緒に家まで帰ってくれました。

私は一人になりたい気分でしたが、その日は旦那の提案で、みんなで近所をお散歩しながら遊びました。おかげで、少しずつ気持ちの整理がついてきました。赤ちゃんを失ったという喪失感は悲しいけれど、目の前にはすでに一人大事なわが子がいるということ、そもそも子供が無事に生まれて元気に育つのはものすごい奇跡なんだという、当たり前のことを思い出しました。

娘に赤ちゃんがいなくなってしまったことを告げた時、つい涙が出た私を見て「ママ悲しいの?抱っこしてあげるね」と、流暢な日本語で言って抱きしめてくれたときには、まさか娘に慰められるとは思いもよらず、驚きと、自分にはすばらしい家族がいて今でも十分幸せじゃないかと噛みしめました。

その晩、旦那と話し合い、2週後の産婦人科のバカンス帰りを待つよりも、エコーの結果を持って大きな病院に行き、今後どうすればいいのか、方針を聞きに行くことにしました。翌日、旦那は仕事を調整して一緒についてきてくれました。向かったのは救急の産婦人科です。

救急病院で再検査~自然流産に

娘を保育園に預けてから救急に行き、受付~尿検査をしてから約2時間後にエコー検査。そこでもやはり心拍は聞こえず。でも、経過が分からないからまた1週後に様子を見ましょうということに。そのあいだに自然流産する可能性もあるから腹痛にはドリプラン(痛み止め)を飲んで、耐えられなかったらいつでも来てくださいということで、その日は帰されました。フランスではどうやら自然に流産するのを待つのが一般的のようで、手術をすすめる雰囲気はありませんでした。

個人的には、医師の腕がいいのならさっさと手術して終わりにしてほしいと思っていましたが、私は手術の経験がゼロだし、子宮に傷がつくリスクや、手術後はすぐに妊娠してはいけないこと、全身麻酔をするなど、体の負担も自然流産よりは大きいというネット調べの情報を見て、ならば自然流産を待とうという気持ちに。ちなみに早く手術しないと感染症になるというのは、よほど3か月くらい経ってもおりてこないケースとかにあるそうな。

私は結局、救急へ行った二日後に自然流産しました。

このあとは、5日後に救急で予約があるので再検査。その4日後にバカンス明けの産婦人科医の予約があるので、今後のことなどを相談しに行く予定です。

周りの人に支えられて

うちの旦那さんは、今回は本当に頼れる男でした。

会社なんかより家族が大事だ、とはっきり言ってくれて、とにかく私のことを優先して病院の付き添いに来てくれたり、些細な話もとことん聞いてくれて、ひとりになって大丈夫かと心配してお昼を一緒に食べてくれたり、落ち込んでいた私のために「今晩はこの映画を観よう」と私が好きな俳優さんの出演映画を探してきてくれたりと、もうマジでこの人が旦那さんで良かったなあ~としみじみ思いました。実は前からうすうす感じていたんですが、私の人生で一番の当たりくじはこの旦那と結婚したことだなと今回で確信しましたね(笑)!それくらい絆が深まった一件でした。もしこの先、夫婦喧嘩したとしても、この記事を読み返して反省するようにします、はい。

妊娠報告をしていた友人のなかには、実はわたしも前に・・という人もいて、気にかけて電話で励ましてくれました。おかげで自然流産に対する心構えや、これからまた妊娠する希望があることなど、気持ちを前に向けることができて、周りの人とのご縁にもつくづく感謝です。

流産してみると、もう一人授かりたい!と以前より思うようになりました。

娘はもう3歳なので、今後もし兄弟姉妹ができたとしても4歳差。私は今年36歳なので、焦る気持ちもあります。

でも、このタイミングで来てくれた第二子には、ほんのひと時でも妊娠の幸せな気分や、娘を産んだときの新鮮な記憶を思い出させてくれて、残念だったけれど有難うという気持ち。というのも、長女の娘が言うことを聞かない時どうやってもイライラしがちだったけれど、この妊娠に気づいてからは、おだやかな気持ちで接することができたからです。きっと、まずは長女を大切にしなさい、と警告しに来てくれたのかもしれない。流産してからは、もはや娘は奇跡の子だと思うようになったので、むやみに怒ることは到底出来なくなりました(今だけか?)。

などと非科学的なことを言っているだけでなく、妊娠継続できなかった物理的な理由があるはずので、新鮮な食事とサプリで栄養補給をして、散歩を日課にし、冷え取りで妊娠しやすいからだ作りを心掛けるようにします。

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